第二五回 塩の文字

秀英細明朝体

使用例・画像1「広辞苑」

「広辞苑 第四版」 岩波書店、1991年、1095頁

 ほんとうにおいしい塩は、ちょっとなめてみただけですぐにわかる、というけれど、〈秀英細明朝体〉は、私にとって、まさに上等の塩のような書体だ。この文字でかかれた言葉に感じる、えもいわれぬ安心感と悦びは、物静かで寡黙な料理人に「塩でどうぞ」と差しだされたときの、もう返事も要らない(というかできない)ほどの、身も心も預けるような陶酔に似ている。大人でよかったと思える瞬間。
 そんなふうにかくと、まったく、大げさなやつだと人から笑われるのは目に見えているけれど、でも、真実だから仕方ない。
 たとえば辞書。
 広辞苑を開くと、うつくしい言葉、とか、うつくしくない言葉、とかいう概念は百パーセント錯覚で、どこにもそんな区別はないのだとしみじみ思わせられる(残念ながら、「うつくしい文字」と「うつくしくない文字」があるのは錯覚ではない)。どんな言葉に合わせても、ばつぐんの旨味を引きだしてしまう実力は、間違いなく、この書体ならではのものだ。

使用例・画像2「キッチン」

吉本ばなな「キッチン」 福武書店、1988年、7頁

〈秀英細明朝体〉でかかれた小説を初めて読んだのは、確か、吉本ばななのデビュー作だったと記憶している。
 その後、〈岩田明朝体〉の文庫本を、もっと後になって〈精興社書体〉の個人全集も目にしているが、中学校の図書室にあった単行本を、いちばん最初にこの書体で読んだことも、休み時間に教室でそれを読んでいたら、同級生の不良っぽい男の子に「本って、おもしろい?」と訊かれたことも、私はよく憶えている。

 彼の発した言葉は、私が読んでいる小説に対する興味というよりも、教室の隅で、ひとりぼっちで本に没頭している私への皮肉というか同情にもとれるような響きだったのだが、そのとき彼は私の本をのぞきこみ、おどろいたようにこういったのだった。そんな難しそうな文字、よく読めるな、と。

 びっくりしたのは私のほうだった。
「難しい」どころか、私は感動していたのだ。
 普段自分がしゃべっているのと変わらない、やさしい、まっすぐな言葉が、こんなにもうつくしい結晶になって、本のなかに閉じこめられていること。小さいころ信じていた「文字の魔法」を、現在進行形でつかっているひとがいる。心からそう思った。

使用例・画像3「沈黙」

遠藤周作「沈黙」 新潮文庫、1981年、94頁

〈秀英細明朝体〉は、〈秀英体〉と呼ばれる伝統的な明朝体のひとつだ。
〈秀英体〉は、大日本印刷株式会社の前身である「秀英舎」によって、今から百年以上も前に生まれた。
 石井明朝の原型である〈築地体〉と並ぶ「明朝活字の二大潮流」で、「後の和文書体に多大な影響を与え」ており、〈秀英細明朝体〉は〈秀英体〉のなかでも特に四号明朝体の書風を継承しているという。

 以前は大日本印刷の工場でしか使えない、門外不出の書体だったけれど、数年前にデジタルフォントが発売され、ずいぶん環境が変わってきた。
 最近では女性ファッション誌やシャンプーの広告なんかでも見かけるし(本文のイメージが強いせいか、どかーんと見出しにつかわれているのをみると、顕微鏡をのぞいたみたいで一瞬たじろぐ)、さらに電子書籍でも用いられるようになっている。まさに魔法の大盤振る舞いといった感じ。

 元来の「塩好き」としては、この状況がうれしくないわけはないけれど、現在流通しているデジタルの〈秀英体〉は、(「粒が大きい」ものは特に)私にはちょっとまろやかすぎるというか、均一に精製されて塩気が足りないような印象がある(ごめんなさい、私の我儘だというのは勿論わかっています)。

使用例・画像4「Deep River」

宇多田ヒカル「Deep River」 東芝EMI、 2002年

 高校を卒業してしばらく経ったころ、宇多田ヒカルのアルバムの歌詞カードに〈秀英細明朝体〉を発見し、そういえばあの男の子はどうしているだろうと感慨深かった(彼は間もなく退学してしまったので)。
 ひょっとしたら、彼も今ごろ同じアルバムを買うか借りるかして、この文字を気づかずに眺めているのじゃないかしら。そう考えたらすこし愉快だった(それとも歌詞カードなんか読まずに放ってしまうだろうか)。

 あのとき、「本って、おもしろい?」と訊ねた彼の言葉に、何と答えたのか、実はよく思いだせない。
 とつぜん話しかけられたことにぎょっとして頷いただけのような気もするし、少なくとも、読書のすすめを説いたなどということは断じてない。私にとって真実でも、他の人からみれば全然正しくない、空想みたいなものだと、もう気づいていないわけではなかったから。

 大人になった私も、中身は相変わらず小心のままだ。「魔法」の効きめに自信がなくなったぶん、むしろ心弱くなった。
 だから、文字を読むことのどこがそんなにおもしろいのだ、と問われても、誰もが納得するような答えは思いつかない。たったひとつ言えると思うのは、もしそれがなかったら、きっと味気ない人生だろうということだけである。

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