Vol.39

海苔の文字

アンデルセン/竹崎有斐案「マッチうりのしょうじょ(こどものとも復刻版)」、福音館書店、1989年、9頁

 90年代の半ばまで、コンビニのおにぎりの形は、三角形しかなかったと記憶している。

 フィルム包装された乾燥海苔のシートを端の切れ目からひっぱって抜きとるようになっているのだが、今みたいにきれいに外れなくて、半分以上フィルムの中に残ってしまったり、そもそも開封方法の規格が統一されていないために、どうやって中身を取りだすのか知能を試されているように感じることも度々だった(そして不器用な私は、たいてい猿以下の気持ちを味わうことになった)。


 中学生のとき、その不満についてかなり真剣に考え(暇だったんですね)、友達とこんなおしゃべりをしたことがある。

「だいたい、どうしてこんな面倒なことするんだろうね」

「ごはんの水分が海苔にうつって、湿気るからでしょ」

「でもさあ、私、おにぎりは、やわらかい海苔だって好きだなあ。うん。お母さんが朝早く起きてつくってくれるおにぎりは、ひとつひとつラップに包んであるから、食べるころには海苔がヘナヘナになってるけど、すごくおいしいのに。そんなおにぎりがコンビニでも買えたらいいのに」


 おにぎりくらい自分で作ろうという発想に至らないところがまったく情けないが、ともかく、それからびっくりすることがおきた。

 なんと数日後に、いわゆる「直巻き」タイプのおにぎり(海苔がシットリしている丸型のもの)が発売されたのだ。友達と大笑いをした。

 まったくどうでもいい話のわりに、そんなことを今でも覚えているのは、世の中の商品やサービスに対して、「こんなものがほしい」と自分の頭で考えたことも、それが現実になったことも、初めての経験だったからではないかと思う。


 そんなことが、これまでにいったい何度あっただろう。

 思いだそうとしてもなかなか出てこない。


 かつて想像もしていなかった便利なものや、なくてはならないものが、今は中学生のときより遥かにたくさんあるのに。

 コンビニがない時代にはもう戻れる気がしないけど、自分はせいぜい直巻きのおにぎりがあれば十分な人間だったのではないか、という考えに、時々とてもこわくなる。

小林純一「ひとりでできるよ(こどものとも復刻版)」、福音館書店、1989年、14頁

 誤解を恐れずに言えば、今回の書体は、どう考えてもバリッと歯切れのいい寿司屋の海苔ではない。山や海で食べるおにぎりみたいに、ちょっと湿気にあてられた海苔である。

 でも私はこの書体が大好きだった。

 初めての出会いは『こどものとも』だ。

 子供心に、変わった文字だなあと思ったのを憶えている。そして、慣れると妙にくせになる、とも。

 そのときは好きな理由がわからなかったけれど、たぶん、この書体でかかれた言葉の、ちょっとしんなりしたような温かみのせいではないかと思う。「直巻き」のおにぎりのおいしさと、この書体の心地よさは、すごく似ているような気がする。

山本藤枝「キリスト(子どもの伝記全集13)」ポプラ社、1968年、26頁

 それが〈岩田母型教科書体用かな(岩教31)〉という名前の写植書体だと知ったのはつい最近のことだ。

 前身の岩田活字が存在することも、「教科書体」だったことも、今回初めて知っておどろいた。

 現在の教科書体のイメージとはかなり違うけれど、子供のころしか見る機会がなかったのもそれで納得がいく。

 正直なところ、モリサワの見本帳でこの書体を発見するとは思わなかった。私はこれまで、モリサワ書体は積極的にオープン化されたというイメージをもっていたのだが、中にはDTPに受け継がれなかった書体もあって、それらはむしろ写研書体よりずっと見る機会が少なくなっているのかもしれない。


 ポプラ社から出ていた『子どもの伝記全集』でも、この書体がつかわれていたのを憶えている。

 なぜかいちばん印象に残っている巻は『キリスト』で、当時通っていたカトリック系の幼稚園にこの本があったことも、クリスマスの劇の発表会でマリア様役(人生初の晴舞台!)を射止めたことも、だからこの本がちょっと特別だったことも憶えている。それらの記憶が全部混ざり合って、見分けがつかない。


 慣れ親しんだ書体にはふしぎな原動力がある、と思うのはそういうときだ。

 海が見えない場所で、潮の香りに気づいたときみたいに、景色の先を見たくなる。坂道を下るように、どんどん頁を読み進めたくなる。


 ちなみに、「コンビニ直巻きおにぎりの考案者になりそこねた」出来事について、ひとつだけ白状するなら、あのとき私は「誰でも考えることだったんだね」と言って照れくさく笑いながら、本当は心の底で、「自分のおかげじゃないかな」と思ったのだ。

 言葉にしたから叶ったんじゃないか、と。

 その想いが根底にあるから、今でもこりずにこんなことを書いているのかもしれない。

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